戦後81年 次世代に引き継ぐ宇都宮空襲の記憶 私たちに何ができるか
第二次世界大戦末期、アメリカ軍は東京大空襲のあと住民の戦意を喪失させようと地方都市に対する空襲を本格的に始めました。
そして1945年7月12日午後11時10分、宇都宮市の上空には115機ものBー29爆撃機が飛来し中心市街地に1万2千発もの焼夷弾を投下。
この空襲は宇都宮空襲と呼ばれ、宇都宮市は市街地のおよそ半分を焼失。
620人以上の命が奪われました。
宇都宮空襲があった7月12日。
毎年この日は宇都宮仏教会が追悼法要を行っています。
今年は空襲で家族を失った遺族など25人ほどが参列しました。
参列した福井一弘さん91歳は宇都宮空襲で生き残ったひとりです。
宇都宮空襲で被災した 福井一弘さん(91)
「街の中が全部燃えちゃったんですよね。道路が火の海になってたところを逃げたんですよ。」
福井さんの妹の山田美智子さん86歳も空襲を逃げのびましたが当時のことはあまり思い出したくないと話します。
福井さんの妹 山田美智子さん(86)
「戦争の辛さ悲しさ…言葉になりません。子どもの頃から戦争の話は嫌いでした。」
宇都宮空襲を体験した人たちが戦争の悲惨さや平和の尊さを後世に伝える一方で宇都宮市には空襲で焼け残った戦災樹木も語り継がれています。
大いちょうは、焼夷弾の影響で枯れてしまったと思われていましたが、翌年には新芽をふき、青々とした葉を茂らせました。
戦後の宇都宮市民を勇気づけ現在も復興のシンボルとして親しまれています。
しかし、当時を知る人は少なくなってきました。
あれから81年が経ち次の世代に空襲の記憶を伝えるために私たちに何ができるのでしょうか。
宇都宮市では行政や団体が宇都宮空襲を風化させないために様々な取り組みを行っています。
宇都宮城址公園の清明館で毎年この時期に開かれている「うつのみやの戦災展」です。
宇都宮市文化都市推進課 大塚雅之さん
「戦後81年ということなので戦後80年プラスという言い方をしてるんですが次の10年と100年に向けてどうすればいいのか、その第一歩が今年の81年と考えていて、人に繋ぐこと人から繋がれること、それが今回のプラス一歩。81年目じゃないかなって思っています。」
うつのみやの戦災展には宇都宮空襲・当日の夜も陸軍が宇都宮市内にある八幡山の地下を掘り進めていたという地下施設の展示もありました。
現在は崩落の危険があるため中に入ることはできませんが宇都宮市が7月に、この施設の内部をVR化しました。
宇都宮市文化都市推進課 須永亮介さん
「平和の尊さ命の大切さ戦争の悲惨さなどを見た方に感じていただきたいとVR化しました。VRの良いところは実際に現地にいるような感覚で 見られるところ。市民の皆さんに見ていただくことができるので 良い機会のひとつにしたいです。」
また、宇都宮市内では空襲の記憶を次世代に残すための平和学習展「プロジェクト オリーブ」が初めて行われました。
戦後80年となった2025年までは市民団体「ピースうつのみや」が宇都宮空襲の日に合わせて展示やイベントを行っていましたが、会員の高齢化が進み40年に及ぶ活動を終えました。
しかし市民団体の「みゆスタ」が「ピースうつのみや」から1千点にもおよぶ資料を引き継ぎ後世へのバトンをつなげました。
宇都宮空襲を体験した先人たちの記憶は、戦争を知らない世代に引き継がれました。
みゆスタ 愛田愛花さん(14)
「小さい子どもたちとか兄弟にも戦争の虚しさっていうか、そういうのを伝えていきたいなって思いますし、小さい子たちって私たちの気持ちも伝わると思うので、自分たちの言葉で説明しながら伝えていきたいなと思っています。」
人から人へと伝えられていく「記憶」の継承。
宇都宮空襲で被災した 福井一弘さん(91)
「戦争のない平和な時代になって、次の代の人に継いでもらって、気を付けてもらうようにお願いしたい。」
戦後81年。
当時を知る人は少なくなってきました。
しかし、その記憶を伝えていこうという思いは受け継がれ、次の世代へと続いていきます。
そして1945年7月12日午後11時10分、宇都宮市の上空には115機ものBー29爆撃機が飛来し中心市街地に1万2千発もの焼夷弾を投下。
この空襲は宇都宮空襲と呼ばれ、宇都宮市は市街地のおよそ半分を焼失。
620人以上の命が奪われました。
宇都宮空襲があった7月12日。
毎年この日は宇都宮仏教会が追悼法要を行っています。
今年は空襲で家族を失った遺族など25人ほどが参列しました。
参列した福井一弘さん91歳は宇都宮空襲で生き残ったひとりです。
宇都宮空襲で被災した 福井一弘さん(91)
「街の中が全部燃えちゃったんですよね。道路が火の海になってたところを逃げたんですよ。」
福井さんの妹の山田美智子さん86歳も空襲を逃げのびましたが当時のことはあまり思い出したくないと話します。
福井さんの妹 山田美智子さん(86)
「戦争の辛さ悲しさ…言葉になりません。子どもの頃から戦争の話は嫌いでした。」
宇都宮空襲を体験した人たちが戦争の悲惨さや平和の尊さを後世に伝える一方で宇都宮市には空襲で焼け残った戦災樹木も語り継がれています。
大いちょうは、焼夷弾の影響で枯れてしまったと思われていましたが、翌年には新芽をふき、青々とした葉を茂らせました。
戦後の宇都宮市民を勇気づけ現在も復興のシンボルとして親しまれています。
しかし、当時を知る人は少なくなってきました。
あれから81年が経ち次の世代に空襲の記憶を伝えるために私たちに何ができるのでしょうか。
宇都宮市では行政や団体が宇都宮空襲を風化させないために様々な取り組みを行っています。
宇都宮城址公園の清明館で毎年この時期に開かれている「うつのみやの戦災展」です。
宇都宮市文化都市推進課 大塚雅之さん
「戦後81年ということなので戦後80年プラスという言い方をしてるんですが次の10年と100年に向けてどうすればいいのか、その第一歩が今年の81年と考えていて、人に繋ぐこと人から繋がれること、それが今回のプラス一歩。81年目じゃないかなって思っています。」
うつのみやの戦災展には宇都宮空襲・当日の夜も陸軍が宇都宮市内にある八幡山の地下を掘り進めていたという地下施設の展示もありました。
現在は崩落の危険があるため中に入ることはできませんが宇都宮市が7月に、この施設の内部をVR化しました。
宇都宮市文化都市推進課 須永亮介さん
「平和の尊さ命の大切さ戦争の悲惨さなどを見た方に感じていただきたいとVR化しました。VRの良いところは実際に現地にいるような感覚で 見られるところ。市民の皆さんに見ていただくことができるので 良い機会のひとつにしたいです。」
また、宇都宮市内では空襲の記憶を次世代に残すための平和学習展「プロジェクト オリーブ」が初めて行われました。
戦後80年となった2025年までは市民団体「ピースうつのみや」が宇都宮空襲の日に合わせて展示やイベントを行っていましたが、会員の高齢化が進み40年に及ぶ活動を終えました。
しかし市民団体の「みゆスタ」が「ピースうつのみや」から1千点にもおよぶ資料を引き継ぎ後世へのバトンをつなげました。
宇都宮空襲を体験した先人たちの記憶は、戦争を知らない世代に引き継がれました。
みゆスタ 愛田愛花さん(14)
「小さい子どもたちとか兄弟にも戦争の虚しさっていうか、そういうのを伝えていきたいなって思いますし、小さい子たちって私たちの気持ちも伝わると思うので、自分たちの言葉で説明しながら伝えていきたいなと思っています。」
人から人へと伝えられていく「記憶」の継承。
宇都宮空襲で被災した 福井一弘さん(91)
「戦争のない平和な時代になって、次の代の人に継いでもらって、気を付けてもらうようにお願いしたい。」
戦後81年。
当時を知る人は少なくなってきました。
しかし、その記憶を伝えていこうという思いは受け継がれ、次の世代へと続いていきます。
