とちテレアナウンサーブログ

2021年03月30日(火)

聖火リレーつながった 過去と今もつないだ

久保庭美代子さんと隆夫さんとトーチと

久保庭美代子さんと隆夫さんとトーチと

本田五輪子さんと

本田五輪子さんと

足利市からスタートした2日間

足利市からスタートした2日間

これで私もフィニッシュしました

これで私もフィニッシュしました

栃木県の聖火リレーが
無事、2日間行われました。
さまざまな意見があるなか
たどり着きました。

小山市のコースを走った
下野市在住の本田五輪子さんに
開催前、話を聞きました。

本田さん…五輪子さんと記しましょう、
五輪子さんは昭和39年東京五輪聖火リレーが
栃木に到着した10月2日生まれ。
祖父が聖火に感激して
「五輪子」と名づけました。

時を超えて巡ってきた縁。
しかし聖火リレーは1年延期、
五輪子さんは「原点」を確かめたくて
去年10月五輪ミュージアムを訪れて
聖火の炎を見てきたそうです。

「自分自身に会いに行くということですね」
私が話すと「そうです、そうなんです」。
「聖火リレーは私の夢。
それは祖父の夢でもあると思う。
とびっきりの笑顔で走りたい」と話した五輪子さん。

私はモニターで当日の聖火リレーを見ました。
凛と、爽やかに、風のように走る姿がありました。
「きっと祖父も見ていると思います」
リレー後のインタビューが印象に残りました。

宇都宮の県庁に到着し全日程が終了した後
県庁から生中継しました。
ゲストにお呼びしたのは
久保庭美代子さん、隆夫さんご夫妻。
美代子さんが今回の聖火ランナー、
隆夫さんは昭和39年東京五輪聖火ランナー。

何という運命のめぐりあわせ、しかし
1年延期してどうなるものかと思ったこと、
さまざまな人の思いを乗せて走ったこと、
美代子さんは話してくれました。
フィニッシュ地点で待っていた隆夫さんは
美代子さんの後をついて走り
自分も感激したと話しました。

五輪子さんも久保庭さんも
57年の時がつながり、
1年延期の時もつながり。

・・・そして私も。
1年前、ハチマキ巻いて県内全コースをめぐり
お伝えしたことが、この日つながりました。
美代子さんのトーチを持たせて頂きました。
1・2キロ、ほどよい重さ、
桜の形をしているから円筒形ではなく五角形風、
グリップ風になっているからつかみ易いんだ。

このトーチに炎がともった瞬間に
今まで聞いたことのない心からの歓声をあげたランナー。
スキップして走ったランナーもいたっけ。
トーチを左右持ち替え、持ち替え
手を振り続けたランナーの皆さん。

何だか、いろいろなことを考えた2日間でした。

とちぎテレビ
飯島誠

2021年03月20日(土)

「私は歩き続けたいと思います」

一緒に歩くことができて感激です

一緒に歩くことができて感激です

1年延期の東京五輪聖火リレー、
再び実施の時期が近づいてきました。

さまざまな意見があります。
大切な意見ばかりです。
実際にランナーを務める人は
どのように思っているのか。

104歳の箱石シツイさんに
話を聞くことができました。
那珂川町で今も現役の理容師さんです。

聖火リレー、1年延期と聞いて
気持ちが少し緩んだと話した箱石さん。
しかし次の瞬間、
「でも、歩くことはやめませんでした」と
答えました。

疲れが目立つようになった自分の体のためにと
箱石さんは70歳の時から
トレーニング、ストレッチを欠かしていません。

「70歳から」というのも衝撃的ですが
「毎日続けている」というのも驚愕。
しかし、それが嘘ではないことは
体の柔らかさが証明しています。

1,5キロのおもりを足のくるぶしに巻いて
片足30秒ずつ10回、両足上げて50秒キープ、
104歳のトレーニングととても思えません。

「中止になってもね、自分のために歩き続けます」
1日1日の積み重ね。
「自分ができることをやる」という箱石さんの姿勢。
・・・コロナ禍の今、私が問われていることだ。
これだ、これなんだ、と何度も頭をめぐりました。

1日1日と積み上げていく
そのうちの1日が、聖火リレーの日。
周りがざわつくから雰囲気は違うが
本人にとってはいつもと変わらない1日。

箱石さんは聖火リレーという「普通の1日」を
腰、ひざをピンと伸ばして
1,2キロのトーチを持って進みます。
同じ思いでこの日を迎える聖火ランナーを
私は応援したいと思いました。

とちぎテレビ
飯島誠

2021年03月15日(月)

震災10年 新たな出会い

右から小堀さん、谷田さん。仮設住宅跡にて

右から小堀さん、谷田さん。仮設住宅跡にて

釜石まで続く青空をバックに

釜石まで続く青空をバックに

曲名は牾石 IS ALRIGHT“

曲名は牾石 IS ALRIGHT“

震災10年の報道特集を取材して
今回も出会いがありました。

谷田由香里さんとは
県内唯一の仮設住宅があった那須烏山で
お会いできました。

谷田さんは震災直後から1年と少し仮設住宅で生活。
この仮設住宅を支援したボランティアグループキャプテン
小堀道和さんと当時の様子を振り返りました。

小堀さんは宮城・石巻の復興支援、
関東東北豪雨や台風19号の復興支援など
これまで数多くの被災地支援に携わっています。

当時のことを、まるで昨日のことのように話す2人。
改めて、10年は区切りではないのだということを
感じました。

もうひとりは長山時盛さん。
小山市在住、
ラグビーの名門・新日鉄釜石でキャプテンも務めた
ラガーマンが、
釜石の復興を後押しする曲を作りました。
CDは長山さんのツイッターに連絡すると購入可能です。

スタジオで熱唱する長山さん。
耳にとてもよく残るメロディーで歌い上げ
「釜石の人に代わってシャウトしている」と
話してくれました。

新型コロナの影響で
リモートのお付き合いが長く続いていますが
ひとつの出会いを大切にしたいと思います。

とちぎテレビ
飯島誠

2021年03月11日(木)

震災10年 支援のかたち

左から、菊地さん、川端さん、私のいま

左から、菊地さん、川端さん、私のいま

8年前の菊地さんと…「若いね」だって

8年前の菊地さんと…「若いね」だって

建物は那須野ヶ原青年会議所寄贈

建物は那須野ヶ原青年会議所寄贈

遊具 文字通り「進化を続ける」施設だ

遊具 文字通り「進化を続ける」施設だ

山元町の慰霊碑 いつまでも忘れません

山元町の慰霊碑 いつまでも忘れません

震災から10年ということで
とちテレ報道部はさまざまな特集を
放送しました。

私は8年前の2013年に取材した
宮城県山元町「みんなのとしょかん」の
今を取り上げました。

「みんなのとしょかん」は
足利市の川端秀明さんが中心になって
全国から本の寄付を受け、
被災地に図書館をつくるというもの。

被災地の人は当時「集まれる場所」が欲しいと
思っていました。
一方で被災地支援を考えた時に、川端さんは
地元の実情に合わせるために、さらに
「やるものがあることで心の支えになる」と
運営をすべて地元で行うシステムにしました。

8年たって、としょかんは進化。
コンテナハウスの建物に基礎工事を行って
正式建築物にこの春登記予定。
周辺には遊具、集会場、畑までできている。
追悼行事をはじめイベントを多数開いている。

・・・何だろう、
私はここに来るとワクワクするのです。

8年間管理をしている菊地慎一郎さんに聞くと
被災されて10年、さまざまあったと思いますが
そのことを隠している感じもしない。
楽しんでとしょかんに関わっているのが
伝わってくるのです。
他の皆さんも、実に朗らかで一途。

8年たって「次の10年をどうするか」を
川端さん、菊地さんが話し合う場面を拝見しました。
「次の世代もやっていけると思う」と話す
菊地さんの声は、それはそれは強いものでした。

川端さんは
「としょかんは、集まれる場所を自ら育て
自分たちで実を結んだ。
実は、少子高齢化の地方が取り組むべきことを
やっている。
被災地を支援する思いだけだったのが
逆に学ぶことが非常に多かった」と話します。

施設を作る、維持するには経費がかかる。
運営する人の力も必要、高齢化も進行している。
何より心の支援はこれからも必要。
きれいごとばかり言えません。

支援する側が逆に「学び」で支援を受けるという
フラットな関係。
としょかんがこれからも
続いて「いきそう」な雰囲気を感じるのはなぜか。
本当の支援のあり方がここにありそうな気がします。

とちぎテレビ
飯島誠

2021年3月
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プロフィール

飯島 誠(いいじま まこと)

■氏名:
 飯島 誠(いいじま まこと)
■誕生日:
 5月22日
■出身地:
 栃木県小山市
■趣味:
 鉄道旅行、「ウチのメダカ」の飼育
■特技:
 話し相手の地元の話に強い(合わせられる)
■モットー:
 ゼロから。
■好きな...

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